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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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       第004号   ’99−07−16

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            問題解決の風土

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●前回第003号では、

という形の書き出しはしたくないものだ、、、と、始める前から思って

いました。連続もの形式にすると、読者にはある種の負担を強いること

になるだろうし、書く自分の方にしても話の筋を綿密に準備しなくては

ならない。私にはひと様に何かを強いるつもりはないし、<個人的メモ

の開陳>が綿密な予定に基づくこともあり得ない、、、 からでした。

 

               *

しかし前号のTV番組、特に「コミュニケーション力」重視の選抜方法

を採った会社の話、あれ1回では無責任だぜ。あの方式を用いた側にも、

それで選ばれた人たちにも、それは単に<始まり>でしかないのだから。

その結果はどうだったか、までフォローしてくれなくちゃ、、、

と考えているうちに、その話題を引き合いに出したお前はどうなんだ?

と<内なる声>がささやき始めました。 実に因果な性分ではあります。

             *   *

で、やむなく<連続もの>になりました。問題解決は粘りで、と叫んで

いるうちに、「習い性となる」。長い間の生活習慣が私をしつこい性格

にしたらしい。(友人は、昔からだ、と。 栴檀は双葉より、、か?)

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●動機のない行動は、、、無い

でしょう。推理小説では普通、そこから犯人探しが始まります。いまの

場合、下手な推理はむしろ慎むべきでしょうが、そこを敢えて、、。

深い事情は知る由もありませんが、あの方式を用いようと決める際には、

あの会社の<過去の努力の蓄積>が、大きな前提になっていたはずです。

それがどんなものか、、、私はその方に、より大きな興味を抱きます。

「コミュニケーション力」が必要、と謳ったあの会社には、その能力を

そこに根付かせ、芽を吹かせるような土壌が存在するのでしょう。ある、

という自信が姿を変えて、あの方式に現れたのに違いありません。その

自信が生じた背景というか、経緯がどんなものであったのか、それを私

は知りたいと思うのです。いくつもの問題と、いくつもの解決。それら

の共通項は何か、、? そうだ、「コミュニケーション力」! という

ようなインサイド・ストーリー、それが聞きたいんだけどな。

               *

どんな選抜方式を用いるにせよ、何らかの「能力」を主眼にして採用を

決定する時代です。人格は後回し? なら、出来れば、能力だけ欲しい。

それを極端な形で実行したのが、たとえば製造ラインのロボット装置。

黙々と能力を発揮していますよ。仕事の好き嫌いは無いし、クタビレタ

も「賃上げ!」も言わない。無断欠勤も残業拒否もゼロ。  Good!

しかし、キカイ向きでない仕事はたくさんある。やむを得ず、人間様に

働いて頂く。これが、ロボットとは正反対。成果が挙がらなくても言う

ことだけは言う、、のがいるぜ。特に、自分の能力が発揮できるような

役を授けられていないと感じたら、黙っていられなくなる。 誰しも。

だから「能力」を採った企業では、それを発揮させるような組織風土を

準備しておかなくてはなりません。とはこれまた、アタリマエ、ですね。

ところが、どこの会社も、必ずしもそうではない、、、。 これが困る。

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●コミュニケーション力重点

で採用する、と掲げた会社も少ないが、その力で活発な論議を行なわせ、

成果を挙げよう(と、よく言われるけれども、その割には)、となると、

、、それを可能とする組織風土が整備されている会社は、さらに少ない。

               *

なぜ、少ないか? そういう認識を持ったリーダーが少ないから、です。

どんな組織であるか、それを決定するのは、それをリードする人の資質

と認識です。ところが、002号の通り「リーダーの意欲は保証付き」、

それが旺盛なあまり、結果として妨げになっていることもあるのです。

             *   *

欲に駆られて認識を誤る、豊かな資質はあるが仕事専一に発揮しない、、、

という種類の、尊敬しにくいリーダー、、、どこにも、いるんですよね?

           *   *   *

真のリーダー、正しいリーダーシップを発揮する人、、それは、昔から

天然記念物的に稀少価値。その定義も容易ではないので、ここでは特に

「コミュニケーション」の面に限って研究してみましょう。

             *****

 

●職場のあなたの周辺、

よく観察して下さい。会議、打合せ etc. 形は色々でしょうが、職場の

コミュニケーションなるもの、上からの一方通行になってはいませんか? 

「こうも考えられますよ」とか、率直に異論を立てさせてくれますかな?

どの場面でも結構、その場のリーダーたる人を子細に観察しましょう。 

               *

職位の高い人に時たま見られることですが、耳を傾けるかのような演技?

をなさいますな。けれども、積極的に encourage して下さることはない。

誰かのアイデアが取り上げられるかに見えて、滅多に実現には至らない。

幸い実現にこぎ着けたとしても、まず大した権限は持たせて下さらない。

             *   *

それがまた、組織のサイズにはほとんど無関係なんですな。小さい会社

だから互いに良く通じ合うことが出来る、というものではないようです。

リーダーのラッパは高らかに響くが、誰も前進しようとはしない。いや、

しないのではなくて<できない>。<動けない>。 動きようが無い。

ハ、ハ、ないないづくし。 描写が過激でしたかな。血液B型の悪い癖。

すぐ、パンチを利かせたがるのです。   気に障ったら、ご免なさい。

             *****

 

●このようにして、リーダー

が掲げる<あるべき姿>と、彼に率いられるメンバーの<現実>は、

常にかけ離れることになるのです。多くの職場の、どの職位でも、、。

つまり、世の中は<問題>だらけということ。 みんな困ってるのさ。

               *

何とかならないか、と思っている人は、従って少なくないはず。そう

いう人は、あの番組を観て、自社の状況を改善するにはこれ!と飛び

つく可能性が大いにあります。たちまち「コミュニケーション力!」

が叫ばれるようになるかも知れない。ファッションには敏感な我が国

ですから。  (ファッションに終わらせちゃ、まずいんだけどね)

しかし「それを根付かせる土壌」は、どこにもあるわけではありません。

たしかに、叫べばそれなりのことにはなる。けれどもDNAまで変わる

わけではないから、この号令にも<動けない>が伴なうことでしょうな。

そこから別の問題が起き、いろいろ絡まってさらに困難の度を増すこと

にもなり得ます。   まあ、悪循環ですね。  覚悟しなくちゃ。

             *****

 

●コミュニケーションの語源を

さかのぼるとラテン語「コミュニカーレ」、「共有する」ことだという。

知識のレベルやものの見方を、互いに一致させること。即ち、双方向的。

文字通り「やりand 取り」しなかったら、これは実現させられませんぞ。

え、アタリマエ? 先ほどのあなたの周辺チェックでは、どうでした?

そこでのコミュニケーション、双方向性が保証されていましたかな?

「ウカウカ口も利けない職場」というのもありますね。喋らせておいて

バッサリとか、グサリとか。      おお、怖い、怖い!

               *

大体「コミュニケーションやろう!」など叫ばれるのは、それがうまく

行ってない証拠です。 何とかしなくちゃ、で<誰かさん>が叫んで

いるのでしょうけれど、、、  その<誰かさん>って、誰ですかね?

困ったことに、その<誰かさん>、主に「一方的」が専門のお方である

ことが多いです。そのパワー絶大の人に、叫ぶのをおやめなさい、とは

恐れ多くて、誰も言えませんよ。  コミュニケーション不能の土壌?

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●問題を解決する立場にいる人自身、

あろうことか問題の発生源になってしまっている。 漫画的だけれども、

これが決して珍しくないのが現実です。この種のコミュニケーション

の不調は、部下の側の(一方的)努力では改善できません。せっかく

部下に「コミュニケーション力」があっても、相手が強すぎる。その

相手、ご自分のことはお気付きでない。持ち前のバイタリティ、どん

どん<かけ離れ>を広げて下さる、あるいは別のを生み出して下さる。

               *

その<解決>の第1歩は<相手に気付かせること>に決まっているが、

行なうは難し。敢えて持ちかけたところで、受け容れるテキではない。

理屈で攻めても通じないだろう、いや、逆効果しかあるまい、、、。

相手は、(本来<味方>のはずなのだが)<味方>と言えるかどうか、

疑わしくなってくる。 力は貸さない、難しくするだけ、の人ではね。

まるで話が通じない、やたら怖いばかりの人からは逃げ出したい。が、

職責にも感じて、そうは出来ない。  不動金縛りの術、マイッタ!

             *   *

一つの提案は、心の中で、数メートル離れたところに立つこと。その

イメージで、お互いの現実を(ひと事のように)観察しましょう。と、

それまで見落としていた何かが、改めて見えて来るかも知れませんよ。

見方を変えると、状況改善の手がかりが、意外にアッサリ掴めること

があるのです。「そのままでない方が良い部分」が自分の側にあるの

に気づいてハッとしたり、ガッカリしたり。  勇気が必要なのです。

           *   *   *

その自分の姿を、別の誰かの姿と比べてみるのも良いでしょう。「別の

誰か」とは、その<問題発生源>さんに対しても、結構うまくコミュニ

ケーションがとれている人です。  あなたとその人と、どこが違う?

         *   *   *   *

そこまで考えても手詰まり状況の打開策が見出だせない、としたら、、、

第三者の活用という手段も一つ、試すべきかも知れません。

「自分の問題は自分で」とは申しましたが、「何もかも自分で、、」

とは申しませんでしたし、そうは行かない場合もあるのですよ。

前回ご紹介したフランスの「管理職のコーチ」たちだったら、どう

助けるのだろう? いずれ、私も知りたいものですが、、、。       

                         ■竹島元一■

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